今も空気を読めない日記 <ichigomomo’s blog>

日々自分のことしか考えていない「イリキ ひじり」の日記です。

タンバリンの輪

私は幼い頃、ファミコンスーファミも買ってもらえなかった。
すごーーく欲しかったので、「親が買ってくれなかった」ことをとてもよく覚えている。
ちなみにゲームボーイはじいちゃんが買ってくれた。クラスでも1,2を争う早さで導入したので、普段遊ばないクラスメートが家に来るほどであった。で、あれほどファミコンを買ってくれなかった親もゲームボーイのカセットは割と緩い条件で買ってくれた。
また、小学校高学年になると塾で「実力テスト」を行うようになり、当時が人生で最も輝いていた私はちょいちょい『県内1位』などを取った(田舎だと母集団が少ない)ので、年数回のペースで新作の玩具を手にすることができるようになった。

総合的に考えるとうちの親はいろいろ買ってくれるほうだったのだ。しかし、私自身は「あれほど欲しかったのに買ってくれなかった」という想い出のほうがよーーく残っている。ので、自分の娘には欲しがるものを何もかも買ってやりたいと思う。これは妊娠前からずっと決めていたことだ。娘には私のような思いをしてほしくない。おおらかに、日々楽しく過ごしてくれれば、こんなに安いものはないではないか。

しかし、そう思って玩具売り場に行ったときに必ず目にする、オシャレ魔女ゲームのくだらなさときたら・・・!
将来タシにならないにもほどがある。お母さんはあんなものにびた一文払いたくないよ。かくなる上は、娘の物心がつく前に廃れてくれることを願わずにはいられない。どうぞ2年後までに「三木道三」と同じになってくれと祈る日々だ。今では私にファミコンを買ってくれなかった母の考えがよくわかる。そもそも私には才能も根気もないので、今でもスーパーマリオの8−3がクリアできない。(ワープを最大限使ってこのていたらくなので7−1とか行った日には序盤で全滅するであろう)世を覆うほどのモノを持っていたことが取り返しのつかない年齢になって判明するなら怒りのぶつけようもあるが、これではただ母が私に向いていないものを与えなかっただけの話だ。

娘の心に余裕を持たせるためだけにいちいち何万も出費するのが良いことなのかどうか、思案のしどころである。とりあえず今は数百円のおもちゃに満足しているようだから、状況を見守ることとする。