今も空気を読めない日記 <ichigomomo’s blog>

日々自分のことしか考えていない「イリキ ひじり」の日記です。

戦略と放置

朝、時刻が大きめに表示されている情報番組を見ていると、CMに混ざって頻繁に夜ドラの番宣が流れる。
不倫モノのドラマである。短調で蛇のように伸びのある主題歌と相まって非常に不愉快だ。
そう思うのは私一人じゃないと思うので、今日はそのドラマの存在意義について考えてみる。

旦那の子供を産もうと決心している私でなくとも、誰がこういった泥沼にわざわざ飛び込むものか。すくなくとも仲の良い一般的な家族からは用のない話だろう。
では目下不倫中のOLが自分への慰みで視聴しているのか。たまたま現在不倫中であっても、見事彼を奪い取った暁には平凡で何気ない家庭を築きたいのではないか?光の当たる部屋で彼との結婚生活を夢に思い描いたとき、崩れゆく日常を描く物語は自らの喜びに本当に沿っているか。
結局、多くの人にとって、このドラマは無駄な注意を喚起し架空の敵に脅威し、無意味な不信感をあおるきっかけにしかならないのではないか。(ちなみに、この作者は名声ある夫と男女3人の子に囲まれ不穏な話一つなく暮らしておられると記憶している。そんな人が空想でこのような悲劇を組み立てていることを想像して欲しい)

ではフジテレビはなぜこれを放映しているのか?
不倫を推奨しているのだろうか。たしかに、能力ある男が複数の若い女との間にたくさんの子供を作れば人口減少にも抑止がかかりますね。しかし、社会が求めているのは安全で健全な国民であって、産まれた直後から憎しみあい存在自体を疎んじる、そんな不安定な大衆によって根本から崩壊したくはないはず、うーんわからん・・・

てことで旦那に聞いてみたら、
「不倫によってみんなが不幸になるさまを見せつければ不倫の抑止効果がある、若しくは、こんなドラマでもどこかに需要があるんだろ」
とのこと。フツーの意見だ。だが無理な仮定に土台を置いて考察を進めてもしょうがないので納得することにした。

よしフジテレビがニッチな需要に応えて特殊な番組を制作すること自体は目を瞑ろう。ただし、見たいヤツは何としても見るはずなのでいちいち番宣を流さないで欲しい。2〜3秒でもだいたい状況がつかめるので不愉快である。それに、啓蒙目的ならそれで構わないので何ヶ月も毎週放送するのはやめてくれないか。2〜3回で充分でしょ。

なんちゅうことを考えながらいろいろ調べてみると、このドラマ、視聴率は10%をやっと上回る程度に過ぎなかった。ときには下回っている。なーんだ、みんな嫌がってるんじゃん。